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1999年 6月10日 作成
まほろば書簡 創刊号 1987年6月20日発行
OB会活動について
会長 反田 博俊
全国OB会が、協力協会に移行する時期に会長に就任し、今後のOB会活動の方向づけをするかと思うと、その重責を感じます。この数年、協力協会への移行について賛否両論がありました。私などは、奈良県OB会は今まで通りであり、全国OB会が協力協会に移行するだけであり何ら変わることはないと聞き、どちらでもよい東京の話と思っておりました。しかし今は、今までOB会で出来た以上のことが今後出来るようになったのではないかと思っております。
昭和53年の春の募集説明会に参加した時、前会長の清水さんが一人説明会に来ておられたのを覚えています。帰国後は東京の事務局から奈良のOB会長に連絡するように言われ、帰省後直ぐに電話を会長に入れ、今後の協力を約束しました。素直な私はOB会の活動には必ず参加しなければならないものと思い、連絡のあるごとにすべての活動に参加してきました。その度に参加者が会長と私の二人という事が多かったと思います。会長に聞くとみんな忙しいからということでした。
今回の総会も欠席の返事が多く残念でした。また中には、協力隊活動への投げかけた返事もありました。私も任期中に協力隊活動に疑問を持った一人です。そんなみんなの小さな疑問を互いにぶつけあう場がOB会であり、OBとしての義務であるように思います。
今年度より副会長として、昨年帰国された坂本さん、小尾さんという若いエネルギーをOB会に注入出来、今まで以上に活発に活動を行っていけると思います。また、10数年奈良県OB会長としてお世話になった清水さんには、顧問として今後の我々の活動に助言を与えていただくことになりました。
電話一本、葉書一枚の参加でも結構、何らかの形でOB会に参加していただきたいと思います。
奈良県OB会は、全国で2番目に小さい、40数名のOB会であることをお忘れなく。
OB会活動の流れ
前会長 清水 悟
私が本誌の創刊号にスペースを頂き、前会長として光栄に思います。私の会長時代から思うと、このような機関誌を出せるということ自体画期的なことで、これを機会に奈良県OB会がより一層発展することを祈ると共に、新会員の皆様のご活躍を祈る次第です。
今から思えば本県OB会が設立(?)されたのは、確か私が帰国して1年後の昭和49年の11月頃だったと記憶しているのですが、定かではありません。このように実にいい加減なところからスタートした訳で、当時、前々会長の中山氏(現兵庫県)と私の2人に、東京からわざわざ伴局長が来られ、奈良の飲屋の座敷で設立されました。
以来10年余りの長きにわたって、ずるずると本会のお世話をさせて頂いてきた訳ですが、当時はOBが5名程度で4、5年はほぼ横ばい状態で、しかも大部分が私を含め他府県よりの転入者といった状況でした。以後徐々にではありますが増えてきましたが、他府県出身者がほとんどで、また地元出身者でも帰国後就職の関係で他府県へ転出するというパターンが続きました。
でも、ここ2、3年になってやっと定着率が上昇してきました。これには私自身にも非常に思い出となっているのですが、昭和58年に本県で初めて県職員の現職参加が認められたことが大きな要因となっています。またここ数年、協力隊というものが世間で広く認められるようになり、参加者が増えてきたことも考えられます。
しかし、いくらOB・OGが増えたといっても実際にOB会で活動している人がごく少ないというのが現状で、これは他府県のOB会でも同様です。今までOB会をやってきた我々にも問題があると思うのですが、せっかく貴重な体験をしてきたのに何かもったいないような気がし、本県のように閉鎖的でもう一つ活気に乏しい社会には特に必要とされることと思います。
何事にも最初の出会いというものが大事で、何でもいいから気楽に集まれるような場作りが大切であるとつくづく思いました。OB・OGの皆さん、これからも忙しいこととは思いますが、一緒に集まって大いに騒ぎましょう!
PS・本県OBで今まで現地の人と結婚した隊員4名、OB・OG同士のカップル4となりました。
帰国直後あれこれ
M・K
4月末にフィリピンより帰国した時は、既に桜の花も散り去った後で若葉が茂っていた。しかし運悪く気候は冬にぶり返した寒い日で、体が冷え火の気が欲しいと思ったものだった。
その桜の樹木の間には今サクランボが赤い実を沢山つけており、日中の気温はどんどん上昇し、暑い夏を思わせると同時にマニラを思い出させる。公園や庭先のツツジを見かけると、木も花も全く異なる種類のものだけれども、赤、白、ピンクの色彩で咲き乱れる花の数の影響か、マニラに住んでいた処でよく見たブーゲンビリアとだぶって見えてしょうがない。また、甘い香りを運んでくれたフィリピン国花、サンパキータ。これも何かの花の香りが道端で匂った時に別の植物にもかかわらず連想してしまう。
この花を思うと忘れてならないのが、この花で作った首飾りを路上で売っていた子供たち。片側4、5車線もある大通りで、信号待ちする車を待ち構え窓越しに一台、一台売り歩く売り子の姿。売り子は他にも、バス中、街角、公園でタバコ、新聞、アメ玉、アイスクリーム、マニ(ピーナッツ)等沢山の品物を売り走る。そして呼び声で思い出されるのが、『タァーホ』である。住宅地をてんびん棒の両端にステンレスの容器を吊り下げ、渋い声で、
「タァーホ、タァーホ。」
と売り歩く。日本の豆腐に似た食物である。シロップをかけてオヤツとして食べる点が日本の冷ヤッコと異なる。
このようにフィリピンでは品物が売り子を通じ、売買されることが多かった。今後もこの様な姿が長く続くか知らないが、フィリピンの代表的な風物であったと思う。
一方、日本ではタバコ、ジュースを代表とする自動販売機が黙々と24時間休みなく働いている。2、3年前にはほとんど見かけなかったカードを使用する電話や乗車券販売機がいたる処に並んで、利用客をドンドンさばいていく。この機械に馴れない私なんかはどう使用するだけでなく、何処でカードを買うのかすら知らないありさまである。
役員の交替について
10年余りの長期にわたってOB会のお世話をしていただいた清水悟氏が今年になって会長を降りられました。OB会活動のために色々とご苦労をいただき、ありがとうございました。清水前会長の後を受けて、OB会活動の中心となっていく新役員を紹介します。
会長 反田博俊 53−2 マラウイ 理数科教師
副会長 阪本日出雄 58−3 スリランカ 都市計画
小尾二郎 58−3 ネパール 理数科教師
編集局より
OB・OGの皆さんのご協力を得て、奈良県OB会誌を発行することができました。これからも続けていけるように皆さんのご協力をよろしくお願いします。会誌に関する要望、意見を何でもいいですからどんどん出して下さい。もちろん投稿大歓迎です。
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