ここは 「まほろば書簡 第11号」
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1999年 8月 1日 作成
まほろば書簡 第11号 1991年 2月 8日
協力隊員としての活動
T・A
私は現在、セネガル共和国南部のコルダという所で、野菜栽培指導の隊員として活動をしております。私の隊員としての活動について書いてみたいと思います。
私はセネガルの公的機関である地方分権庁総合農村開発センターという機関に配属され、そこの野菜栽培技術指導員として村々の巡回指導に当たっております。一見、総合農村開発センターといいますと凄いなと思う訳ですが、実際には職員は三名、その内農業技術指導員一名で、その指導員も別に普及活動をしている訳でもなく、私一人が活動しているといった状況です。
私の活動内容ですが、もち論野菜の栽培指導を行っているわけですが、その他には農民達といっしょに畑を造成したり、井戸を掘ったりということもしております。
ここでセネガルの農業について簡単に書きますと、気候面ですが、雨季乾季の二季に大別されます。雨季にはその雨を利用して主食であるミル(稗、粟の類)、ソルゴー、米、トウモロコシ、落花生等が栽培されています。そして乾季に井戸の水を利用した野菜栽培が行われていますが。が、最近、雨季における栽培も徐々に行われるようになってきております。実際にはセネガルにおいての野菜栽培は、都市近郊を除いてはまだ定着しておらず、特に私の任地におきましては、ここ数年前から本格的に栽培する農民がでてきたといった状態です。
私の活動に話を戻しますと、まずこの野菜を作るために必要な畑の造成、井戸掘りといった栽培以前のことから始まり、ついでその栽培指導を行っていくことになります。実際指導にあたりましては、まず基本的な栽培技術の徹底に重点をおいて活動しております。畑の耕起に始まり、畦作り、播種、収穫までの管理のやり方です。
私は活動しておりましていろいろな問題が生じております。まず言葉の問題でしょうか、経験の少ない農民達に技術的に詳しく教えることの難しさ、又どうしてそうすればいいのかを説く難しさが等があります。例えば野菜の間引きですが、播種を行い芽が出ます。あまりにたくさんなので間引きする必要があると言っても、農民達にはそれがどうして良いのか理解できないのです。農民達にしてみれば、せっっかく芽が出たものをどうして間引いてしまうのだろうといった具合です。そして次に大きな問題としては、農民達の援助に対する甘えがあります。私たち隊員は彼らを甘やかすために活動しているわけではなく、彼らの自立を促すために活動しています。ところが実際には村々を巡回しておりましても常にその問題にぶちあたります。農民達はすぐ物をくれと言ってまいります。彼らの生活水準を考えますと仕方ないと思う面もありますが、当然彼ら自身にできるであろうことも御構い無しに言ってまいります。この問題は今後の私の活動におきましても次々と生じてくることでしょう。
私達は活動するにあたり、援助のあり方を今一度考えなおし、あくまでも彼らの自立を促すことを目的として活動していかなければならないのです。
チェンマイ発
Y・M
微笑みの国からこんにちは。
私の任国タイはもはや中進国と言われ、他のJOCV派遣国とはちょっと様子が違います。もうボランティアを派遣する必要は無いと言う人もいます。隊員の赴任先もほとんどが学校で、都市が多いようです。隊員の中には、今まで描いていたJOCVのイメ−ジとかけはなれた状況に消沈してしまっている人もいますが、日本語教師の派遣先はだいたいが中進国で都市というように決まっているので、私としては特に何らとまどいはありませんでした。
私の任地チェンマイは、ちょうど奈良のように古都であって観光地です。世界中の人がやってくるので世界中の食べ物が食べられるし、色々なお店は、一面バンコクよりもおしゃれで、あかぬけているお店がたくさんあります。同時に北部山岳地帯の中心都市なので生活物資も豊富、ああここは都会なんだなあと思っていました。ところが、先日久しぶりにバンコクへ出てみると、その物の豊富さ、洗練性、人の多さ、時間の流れの速さに圧倒され、しばしカルチャ−ショックに打ちのめされました。タイ第一の都市と第二の都市(経済面、人口面ではチェンマイよりも大きい都市もある)の格差がこれほどとは思いもよりませんでした。この中央と地方の著しい格差こそ、この国が途上国と言われる一要因のです。
でも、チェンマイは多くのタイ人から「住むべきところ」と言われるだけあって、気候にも自然環境にも恵まれた暮らしいい町です。ここの教員養成大学が私に任地です。教員養成大学は目下、普通大学に転換されつつあるところで、第2外国語として日本語が入っています。特にここチェンマイは観光地ということもあって、観光学科、ビジネス学科を中心に日本語の人気はあがる一方。つまり、日本語は第2外国語でありながら実用教育なのです。でも、今は需要があるからだけれども、実用ということだけでいいのだろうかと思うのです。教員養成大学はこれから生まれかわろうとする大学、だからこそ単に就職の道具に終わってはいけないような気がするのです。私は、言葉を学ぶというのは思考の幅を広げること、考えることの選択肢を増やすことだと思っています。たとえ日本の事は、トヨタとナショナルぐらいしか知らなくても、日本語を学ぶことで日本人の考え方を知り、自分が新しい考え方をするときの一つの材料になればいい。このようにビジョンをたてた日本語の課程を作っていくのが私の任務です。な〜んて意気は揚々ですが、早くもタイ人ののんびりペ−スにしっかりはまってしまって、ぼんやりしているうちに2年間がすぎてしまいそうです。諸先輩のしった激励をいただいて、頑張りたいと思います。
では、また。秋風が肌に冷たいチェンマイからでした。
ユニセフ街頭募金
昨年の12月24日に、年末恒例のユニセフ街頭募金をそごう奈良店前にて行いました。参加者は10人のOB・OGにタイからの研修生モントリ−さん。買物客の多い中、「世界の子ども達に予防注射を」の呼びかけをし、募金への協力を求めました。1時間のボランティア活動ですが参加したOB・OGが多く、集まった募金額も例年より多くなりました。
世界青年の船の青年来寧
世界青年の船に参加のメキシコとフィジ−の青年29名が、1月11日から13日まで奈良県に滞在しました。OB会からは3人が受け入れ実行委員、反田会長が実行委員長となり、準備と当日の行動の中心となって、活動しました。また、スペイン語を話す人に南太平洋からということで、中南米と南太平洋で活動したOB・OG6人がホ−ムスティ先になりました。外国青年にとって奈良の冬はさぞ寒かったでしょうが、ホ−ムスティ先での交流、古寺の他に工場の先端技術の見学があり、それぞれに楽しんだのではないでしょうか。
編集局より
昨年、奈良県版協力隊体験集を作成する計画でしたが、原稿の回収率が悪い等の理由で発行できず現在に至っています。原稿をお寄せいただいたOB・OG及び隊員の皆さんには申し訳なく思っております。それで、この「まほろば書簡」で順次紹介させていただきます。また、体験集については、奈良県の協力を得て、形は変わるかもしれませんが、発行にもっていきたいと思っています。
「県政だより 奈良」1991年2月号に「まなざしは途上国へ 体当たりの国際協力」と題して反田会長のOB会活動の様子が紹介されました。会長が日頃、継続して地道な活動をされている事には、拍手を送りたいと思います。
新しい年が始まって1カ月余り、OB・OGの皆さんにとってはどのような年になるのでしょうか。今年もOB会へのご協力をよろしく。
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奈良県青年海外協力協会