ここは 「まほろば書簡 第19号」
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1999年 8月 1日 作成
まほろば書簡 第19号 1996年 2月17日発行
パプアニューギニアの合気道
M・I
昨年の4月に赴任し、この国に来てはや9カ月が経ちました。年も改まって気分も新たに活動していこうと思います。
私の配属先ポリスカレッジボマナは、首都ポートモレスビーの郊外にあります。周りには何もなく、カレッジが一つの独立した村のように存在しています。カレッジ内は手入れが行き届いており、ブーゲンビリアの咲き乱れるとてもきれいなところです。子どもたちの数が非常に多く、少々騒がしくはありますが。
さて、私の仕事ですが、格闘技の教官を相手に合気道の指導を行っています。カレッジでは、警官訓練生に合気道が義務づけられており、セルフディフェンスクラスとして指導がなされております。15年前に初代の隊員がこの国に来ており、彼の職種も合気道で、配属先も同じでありました。今までに8人の合気道隊員が派遣されているため設備も整っており、体育教官も皆経験者です。7人いる体育教官のうち5人がラバウル出身で、第2次世界大戦中のことを老人たちがよく話してくれたそうです。「もしもし亀よ」の歌を正確に歌ってくれました。ラバウルの小学校で歌っていたそうです。
そのほかの活動として、カレッジの道場を借りて、夜、一般の人を対象とした稽古をナイトクラスとして行ってきました。最高で50人を越える人が参加してくれたのですが、最終的には10人くらいの人が稽古を続けてくれました。特にモレスビー周辺は治安があまり良くないので、武道に興味を示す人は多いようです。カンフー映画の影響か、空手をやりたがる人が多いみたいですが。
カレッジから車で1時間ぐらいの所にソゲリナショナルハイスクールがあります。そちらで日本語教師をしている隊員の薦めもあり、学生を対象とした稽古を週1回行ってきました。7月31日には文化祭での演舞も行い、一応の成果を収めることができたと思います。
96年の予定ですが、体育教官の再教育を継続するとともに、カレッジに近接する刑務所とパプアニューギニア大学から指導を求める声が挙がっているので、環境が整い次第、稽古を始めようかと思っております。また、こちらで働いておられる日本人の方で合気道3段の方がいらっしゃったので、彼と協力して日本人を対象とした稽古を始められないか、検討しております。日本の資金援助で新設された、ゲレフハイスクールの体育館を借りられるよう交渉しているところです。
昨年は何となくがむしゃらにやってきた感がありますが、今年は昨年の感触を頼りに、もう少し充実した活動ができるようにしたいと思います。協力活動は2年目から始まるといいますが、なるほでその通りかなあと思う次第です。
日本のボランティアとは?
H・U
昨年の7月に日本を発ち、首都のラパスで6週間の語学訓練を受け、9月はじめに、同期隊員はそれぞれの任地へ別れていきました。私の任地は、ボリヴィアの最南端、アルゼンチンとの国境にあるタリハ州の州都、タリハ市です。タリハは、人口約8万人の小さな街ですが、必要なものはたいてい買えます。標高は1900mで気候がとてもよく、過ごしやすい所です。
私の配属先は、国家社会福祉機構(ONAMFA=オナンファ)のタリハ支所です。オナンファは、社会福祉の向上を目的とした国の機関で、全国に支所を持ち、孤児院・保育園・老人施設等を管理しています。私はタリハのそのような施設に対する衛生・栄養指導、栄養改善のために要請されたのでした。赴任してすぐは、いろんな施設を見学して回りました。第一印象は、栄養面はともかく、子どもたちがおいしくお腹いっぱい食べているのに安心しました。まだすべての施設を十分見て回らないうちに、職場から孤児院(育ち盛りの男の子)のメニューを作るように言われました。予算内(3Bs=60円/人/日)でおさめなければならないと思いましたが、そうすると必要な栄養を満たすのは難しいと悩んでいると、ある上司が「牛乳・卵・果物も入れるように」と言いました。牛乳も卵も果物も全く使われていなかったので、私は喜んで理想的なメニューをつくりました。が、そのメニューは予算の2倍近くかかってしまうことになり、採用されませんでした。実際にお金を握っている上司は、今の食費をもっと少なくするために私にメニューを作らせたかったのです。オナンファは国の機関といっても、予算不足のためうまく機能しておらず、職員もまともに給料をもらっていないこともあり、何か改善しようとしたり孤児院の子どもたちのことを親身になって考えたりする人はいないように感じられます。残念ながら(予想していたとおり)メニューは不採用でしたが、私自身まともに食べるとどのくらいお金がかかるのかを知ることができましたし、ボリヴィアの食生活を知るという意味でも良い勉強になったと思います。職場の上司にも、食費を増やす必要こそあれこれ以上減らすことなどできないのだいうことをわかってもらえればと思っています。
さて、今ではラパスにあるオナンファの本部が各支部の予算などを全て担っていたようですが、今年の1月からそれを各州に移行することになりました。12月頃は、年が明ければいったいどの様に変わるのだろうと少し期待の気持ちでいましたが、実際どうなるのかはだれに聞いても分からないのでした。しかし私の期待とは裏腹に、このことにより12月から孤児院にうまく食料が届かなくなりました。オナンファ本部が、もう自分の手を離れることなのでお金を出したくないということのようです。子どもたちは、普段の半分程度の食事を細々と食べていましたが、それでも明るく、いつもどおりに私にやさしくしてくれ、私は彼らのたくましさと自分の無力さに胸がつまる思いでした。このままではいけないと、JICA調整員に相談しましたが、「今はそういう時期なのでもう少し様子を見るしかない。日本のボランティアは、いっさい内政干渉できないから。」ということでした。私はやりきれない混沌とした気持ちで年末年始を過ごしていました。根本的な問題を解決していかなければ何も変わっていかないと思うのに…。いったい日本のボランティアとは何なのか。いつもニコニコ現地の人と仲良くし、帰ったあとで「あの子はいい子だった。」と言わせ、ボリヴィアへの派遣プラス1人になればそれでいいのか…。
そして1月になった今、まだタリハ州から、もちろんオナンファ本部からもお金は来ません。しかし、色々考えるうちに時は経ち、職場の状況も前よりは分かるようになり、調整員の言った意味も少しずつ分かるようになってきています。そしてこれからどうしていくべきなのかということも、少しイメージできるようになってきました。それが実現できるかどうかあまり自信がないので、今は秘密にしておこうと思います。来年のこの職場で、その活動の進行状況をお知らせできるように、焦らず、あきらめず、頑張ろうと思っています。
編集局より
「まほろば書簡」、1年振りの発行となりました。十分なことは出来ていません。
OB会活動へのご協力をよろしくお願いします。
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奈良県青年海外協力協会