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1998年4月1日作成

アフリカ・ザンビアで2年間を過ごして
                    光長功人(理数科教師)
 
 私はザイ−ル国境に近いザンビアでも一番の田舎の州の中高等学校に配属されました。この国では小学校は義務教育で7年間あり、その後中学校2年間、高校3年間を併せて中等教育が行われています。
 授業は英語で行われ、入学当時は ”What is your name ?(名前は?)”という私の問いに元気よく ”Yes!”と答える8年生がほとんどですが12年生ともなると日本人の平均的レベルからすると読むこととしゃべることに関しては達人レベルまで上達します。実際新聞・テレビ放送の全てとラジオのほとんどが英語で行われているために英語なしではある程度の水準の暮らしを維持できないというアフリカ諸国共通の問題がこの国においても見られます。
 私がザンビアで一番苦労をしたことは言葉ではなく、生活でもなく、彼らの持つ職業意識、道徳の低さでした。給料は確かに安いのですが授業に行かない教師が数多く見られること。またそれを監督すべき校長が学校の金を横領して私腹を肥やすことに熱中して信頼されていないこと。お金は欲しいけれど努力したくない。すさまじい泥棒の数。アフリカの人は素直ですれていないなんてとんでもない。「ムズング(白人)はお金持ちだから盗んでも構わない」といった論理がまかり通る社会でした。
 当然「日本はお金持ちだからザンビアに援助してくれるのは当たり前。どうしてもっと援助してくれないの?」と乞食としか思えないような考えが一般的でした。
 生徒たちはそんな風になって欲しくないと思って「君たちの仕事の量が3倍になったけど給料は2倍になった。確かにお金持ちになったといえるだろう。そんなとき君たちはザイ−ル(となりの国)に援助をするのか?」と聞きました。彼らは首を横に振りました。「日本ではみんな朝早くから夜遅くまで働いて税金を払って途上国を援助している。けど途上国の人は感謝もせずそのお金は無駄に使われている。援助なんて無くしていくべきではないのか。」という意見に自分はなっていたように思います。それと同時に日本はよい国というイメ−ジも自分の中に広がっていったようにも思います。
 そんな中、孤軍奮闘して赴任後1年を過ぎようとしていた頃、マラリア等で体重が10kg以上落ち、体力も落ちて思い通り授業ができずいらついていたとき、学級委員が私に言うのです。「マラリアがつらかったら無理しなくても休んでくれてもいいよ。先生のノ−トを私が黒板に書いて皆に写させておくから病気がちゃんと治ったらそこの所を説明してくれればいい。何だったら私に説明してくれたら私が皆に説明しておくから。」日本では休むはずがないが、あまり体力が落ちてどうにも成らないので、その申し出を受けることにしました。そして自分の周りを見渡してみました。やはり授業に行かないで朝から飲んでいる教師はいる。けど一方で昼からも補習を続ける教師や、試験管立てを自分で造ったりしている頑張っている教師もいることに気が付いたのです。孤軍奮闘と思っていたのは自分の思い上がりにしか過ぎず、安い給料で私以上に仕事を頑張っている教師もいたのです。体力が回復したのはお互いの信頼だったのかもしれないけど、とにかく2年目は、体育大会、実験室の修理、授業研究大会等のさまざまなプロジェクトを他の隊員やザンビア人教師と共に成功させることができました。
 私は県でただ一人の日本人としてザンビアで「日本人ってなんだろう?どうして日本という国はこんなに発展したのか?」とよく考えました。日本が世界に誇れるものとは何でしょうか?勤勉性、協調性、相互信頼、躾、周囲に対する気配りなどたくさんあると思います。
 2年ぶりに日本に帰って、「おかしな社会に成りつつあるな−。」と感じました。携帯電話など益々便利になりつつあるものの、日本人がほこれるものがどんどん失われていくということです。私たちの世代はもう組織のシステムに従ってあたえられる仕事をこなすだけであり、親の世代とは異なりもはや働き者とはいえないでしょう。子どもの頃からファミコンで一人で遊べる子ども達が協調性が育つとは思えません。金融界・経済界・政界、そして私もその一端を構成する官界で法に反する行為が露見し信用が失われつつあります。親が子どもの躾を放棄し、その責任を擦りつけられた学校で様々な問題が起こっています。他人に迷惑を掛けることを構わずベルが鳴り思い思いのことを話す携帯電話。1日待てない重要な情報ばかりなのかなと不思議になります。
 便利さを追いかけることの全てを否定するわけではありません。もはや私たちが車無しに生活することなどほとんど不可能なのですから。しかし少しくらい便利さを我慢することを考えてないとこの傲慢な社会はどうにもならないのではないか。「お金さえあればより便利になれるといった考えが少し傲慢に思えてきた。」2年間の活動を終えた今、私は思うのです。
 そういった状況の中で、たのもしく見えるのはボランティア運動の高まりです。2年前に考えられないくらい社会の中でボランティア活動が市民権を得られてきていることは、アフリカから帰ってきた私に「ごくろうさまでした」といって暖かく迎えてくれる人の多さにも感じられます。日本社会のリストラの軸となるもの。それがボランティア活動であればおもしろそうです。これもまた2年間の活動を終えた私の感想でもあります。
 
 
     「South Wind(みなみのかぜ)」
     青年海外協力隊奈良県派遣隊員レポ−ト集 No.6
     1998年 3月 奈良県青年海外協力協会 より 

 

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