いじめ意見交換の場



No106<self assert>



私はいろいろな立場から、不登校を初めいじめ問題を考えていますが、ただ一つだけ言えるのは、不登校にしろ、いじめにしろ、最終的には本人の問題であるということです。私はルソーに関する文章で、教育問題の原点はあまりに理性的判断を子どものときからさせるとそれが、後になって、人に対する思いやりなどの欠如、つまり、感性の欠如をもたらすことを言いたかったわけです。
そこで、私はその原因がイギリス経験論哲学から発展した功利主義にあることを、いいたかったのです。
しかし、功利主義は行動主義心理学の原点ですから、私としては迷いました。民主教育を考える上で十七世紀イギリスのロックとフランスのデカルトは教育においても科学的発展においても重要な役割を果たしましたが人間の理性と感性とのバランスをとることを忘れていました。
そのため、ルソーの消極教育は初等教育における問題解決学習として、理性による教育の基盤を作るために私は必要だと考えています。私はルソーのpart2でそのこと、つまり今なお、十七世紀的考え方から脱却していない教育の方法論を指摘するつもりでしたが、これを述べるとほとんど哲学的になりますので、かなり難解となり断念せざるを得なくなりました。
教育問題はただ単に教育だけの問題ではなく、社会、政治 イデオロギーに至るまで考察しなければ解らないと考えています。
それらは絶えず連動しているのです。
私の得た結論は現代教育においてイギリス経験論哲学とフランス大陸合理論哲学が現代の世界観を今なお支配続けていることです。
その考え方が、戦後教育の中核を占めるようになった。
戦前の神道、仏教、儒教を基とした修身や教育勅語と合うはずはなくその、アンバランスが今なお続いている。このことは戦中の挙国一致体制から個を重視する考え方が<急速>に起こったために生じた。
というのが私の考えですが、<経験>という教育から今のような早期教育も出て<ロック>ルソーのような消極教育論もでる、私は根本的なものは個々人の教育に対する捉え方にあると考えています。





〜意見1〜

男性:25才:匿名:

初めまして、私は25歳になる男性です。
あなたの意見でいじめにしろ、不登校にしろ最終的には本人の問題とありますが、誰だって好きでいじめられているわけではありません、私に言わせれば不登校も大いに結構だと考えています。
本人の問題といいますがあなたはいじめられている人はすべて自分で解決するべきだと言いたいのですか。
あなたのような無責任な事を言う大人がいるからイジメは減らないと言いたい。
本当に腹が立つ!!あなたにはいじめがどうのなんて語る資格は無い。(怒)(怒)(怒)!!!!!!



〜意見2〜

大学生:奈良県

いい加減にしてください。今、あなたがしていることは、いじめられている人をもてあそぶことこそすれ、助けることにはつながっていません。 いま現在必要とされていることは、苦しんでいる人を出来るだけ早く救済することではないでしょうか。 社会、政治、イデオロギーなどに連動している、などと言うことはもうとっくにわかっていることです。今更行っているのがばかばかしいぐらいです。 個を重視する、とか何とか、こんなことを言ってみたところで、今苦しんでいる人には何の役にも立ちません。10年、20年先を見越したことも必要でしょう。しかし、今現実に苦しんでいる人に、20年先にはこんなことはなくなるから、あなたはその間の人身御供となってください、とあなたはいえますか?。ましてや、20年先に、いじめがなくなっているという保証(なくなってほしいのですが)は全くないのです。
 個々人の教育に対する捉え方、よく言ったものです。これは「いじめることもいじめられることも教育のうちである」、なんてことも認められてしまいます。言いたいことはわかります。しかしあなたは、考えを一方的に述べているだけ で、”なにをすべきなのか?”ということにはなにもふれていないのです。
猛省を期待しつつ筆を置きます。




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