いじめ意見交換の場



No.126<新聞記者・女性>


1,あなたのまわりで今,いじめがありますか。(いいえ)



2,いじめがおこった時,どうすれば良いと思いますか。

いじめられている側の味方に立つ。その人を孤独に支える人が少しでもいれば、その人によい影響を与えられるのではないかと思う。

3,あなたは今までにいじめを受けたことがありますか。(はい)

1:小学校の時
クラスに知的障害をもつ女の子(Y子ちゃんとします)がいました。ある日、担任の女性教師がY子ちゃんを前に呼んで、ほかの生徒に「Y子ちゃんはダメな子です。みんなでいじめて学校に来れなくしましょう」と言ってきたので、私は思わず「先生、それはおかしい。Y子ちゃんはみんなの仲間だよ」と反論しました。そうしたら、女性教師は「先生の言うことはすべて正しい。さからうお前は人間じゃない。死ね」と私に言い、他の生徒に「あの子は人間じゃないから、いじめないといけないよ」と命令したのです。以来2年間、担任教師を中心にした、無視などのイジメを受けました。 2:高校生の時
都内の国立の進学校に通っていました。ある日、友達の一人が個人面談に臨み「私、たぶん入試で一番だったんだ」と喜びいさんで出かけました。しばらくして帰ってきた彼女の表情は暗く、私に「あなたが首席だったのよ。それなのに自慢しないところがかえってむかつく」と言ってきました。私は冗談だと最初は思いました。その後、その子とその取りまき数人に呼び出され、「テストでわざと悪い点を取らないと、嘘の噂を流して学校に来れなくしてやるからね」と言われました。私は「え?冗談でしょ」と切り返したのですが、しばらくしてすごく仲の良かった子(Y美ちゃんとします)が、私に「あなた、私の陰口を言ってるらしいじゃない。ひどい人ね」と言って来ました。その後、1年近くクラスおよび学年の女子の大半から無視されたり、中傷されたりしました。


◎あなたはその時どうしましたか。

1:小学校の時は黙って耐えました。
知的障害のある子でも、同じ人間。いじめちゃいけない。ということを、私が耐えることで少しでも伝えられたらと思いました。結局、進級して担任が変わった途端、みんな元に戻りました。「先生がこわくていじめていたの。ごめんね」と何人かに言われました。担任だった女性教師は、次に担当した学級で、やはり知的障害の子に「殺すぞ」と恐喝したことから、別に学校に転任させられていきました。今思うと、差別しなければならないほど心がすさんでいた担任の先生もかわいそうな人だったなと思いました。 2:高校生の時も、だまって耐えました。
みんな分別があるから分かってくれるはず・・・と信じながら。結局、Y美ちゃんは次のテストでトップをとったため、同じイジメを受け、私に「あのときいじめてごめんね」と言ってきました。Y美ちゃんとは今も強い友情で結ばれています。


◎その時,あなたの周りの人は何をしてくれましたか。

1:先生に従うのみでした。母親は、同時期に小姑のイジメを受けていたので、子ども心に「親を心配させちゃいけない」と相談しませんでした。私は子どもながら、周囲のいじめっ子たちのことを「子どもだから教師の権力に迎合しなければならないのだろうな」と思いました。ただし、Y子ちゃんをはじめ私に共感してくれた一部の友達とは、深い信頼関係を築くことができました。彼女たちも一時的にいじめられましたが、お互いに相手をかばい助け合うことで友情を深めていきました。今思えば、私が報道を通じて「先天的なことで他人を差別するのはやめよう」ということを伝えようと考えたのは、このことがきっかけかもしれません。
2:イジメを受けた同士の結束が深まりました。私は東大に進学しました。東大に進学した人は、みな同じくイジメを受けていたことが、大学進学後に分かりました。今にして思えば、みんなが受けていたのは、イジメというより恐喝だったのでしょうね。イジメ(恐喝)をしていた連中の多くは、全員大学受験で失敗し、その後も就職した会社が倒産するなどの憂き目に遭っているようです。一方、当時のいじめられていた人の結束は今も固く、みな進路は違うものの、官公庁やマスコミで「イジメをなくそう」「差別をなくそう」をテーマに生きています。

4,あなたは今までにいじめに参加したことがありますか。(いいえ)


◎その時,あなたの思った事を書いてください

いじめを行うのは、無意味だと思います。誰かに嫌なところがあれば、はっきり伝え、後は再び仲良くするのが分別ある人間の振る舞いだと思っています。イジメを行う人は、「はっきり言う」という意見交換の作業を怠っています。そういう人が「いじめられる側も悪い」と言うのは、自分の怠惰な部分を棚に上げているだけのことです。いじめる側が全て悪いのです。知的障害者をいじめる連中を、私は心の底で軽蔑します。知的障害のある人々は、わざと他人を困らせているわけではないからです。彼らと接することで、どういうことが社会に求められているのかを子どもながらに学べたと、障害のあった友達に感謝しています。外見をネタにいじめを行う人を見ると、「自分の内面に自信がないから他人を外見で差別するしかできないんだな」と、哀れに思います。ですから、私は誰かがいじめられている時にかばったことは数知れませんが誰かをいじめたことは、ありません。誰かをいじめた瞬間、自分の人間性が地に落ちてしまうからです。他人の良いところを伸ばすよう働きかけることこそ、真の友情です。・・・という事を小学生で悟っていた私は、はたから見て異常に大人びて見えたのでしょう。それでいじめられたのかもしれません。年月がたって、昔イジメを行っていた人は、私に「あなたのやってきたことの正しさがやっと分かった」と言ってくれます。プラス方向にせよ、マイナス方向にせよ、出る杭は打たれる。それがイジメの根だと思います。自分がいじめをしているという自覚がなかった。ただ、おもしろかったからからかってしまった。中学になって、自分がいざそういう立場になった時、「私は彼に、物凄く残酷なことをしていたんだ」と思い知った。それ以来、なるべく他人を傷つける言葉を吐いたり、無視をしたりというようなことをしないようにと努力をしているが、その気持ちのせいか受けたいじめのせいか、対人恐怖症になりがち。病院にも一時通っていたが、クスリを渡されるだけで治りはしなかった。


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