いじめ意見交換の場



No.197<−−・中学教師>


私は中学教師です。

 私は埼玉県の中学校の一教師です。私はいじめや不登校の問題に何度となく遭 遇し、その解決に向けて実践してきました。その経験が役に立つことを願って投稿 します。
 解決に向けて大切なことは、その本質と構造を十分に理解したうえで取り組む ことです。いじめの本質は差別です。自分のほうが相手より優れているという優越の 意識が立場の弱い、あるいは集団生活になじめない子どもに向けられます。「あいつ はしょうがない。」、「だめなやつだ。」という意識は多くの人間に見られます。 教師もそのように思い、他の生徒の前で注意することがしばしば見られます。これが 子どもたちの集団の中で容認される段階を第一の段階としましょう。この段階では、 攻撃を受ける子どもに対し同情する子も存在します。

 第二の段階になると、身体的、精神的に立場の悪い子どもにも攻撃の矛先が向 けられるようになります。これを教師が容認すると、本来教師がわにいるはずの子ど もも教師に批判的になります。子どもたちの集団が分断され、まとまりのない学級に なってきます。それぞれが勝手に自己主張を繰り返し、それをめぐって利害を共にす る小さなグループができてきます。

 第三の段階になると、グループ間の差別が始まります。学級の行動がグループ の力関係で決まるようになります。優位に立ったグループはその力を保持するため、 それを排斥しようとする子どもを差別します。また、この段階では、誰もが差別され る可能性があります。子どもたちの間にストレスが蓄積し、自分がいじめを受けない ために見てみぬ振りをする子ども、いじめを受けている子に攻撃をする子どももでて きます。いじめがストレス発散の手段になってきます。このころになると、いじめグ ループ、それを取り巻くグループ、いじめを容認し見てみぬ振りをするグループ、い じめられる側と4つの集団が分かれてきます。

 第四の段階になると、見てみぬ振りをするグループがいじめ集団い取りこまれ るようになります。取り込まれた子は、学級の中ではいじめ集団い属しているかのよ うに思われがちですが、グループの中で深刻ないじめに合っています。いじめによる 自殺は、このような段階で起こります。
 いじめは学校を巡る問題です。人権意識の未熟さが引き起こす社会病理です。 そして、上記の段階が進めば進むほど解決が困難になります。また、解決にあたって は、その段階を見極め、教師と子ども、保護者が一体となって適切に取り組むことが 肝要です。このようないじめについて、誰に責任があるのかという問いに対し、私は 学校・教師にあると答えざるを得ません。少なくとも、そういう認識がなければ解決 はできません。
 では、どのように解決していったら良いのか。要は全ての子どもがいじめの被 害者であるという認識に立って、それぞれの立場の子どもに対処することです。具体 例として、不登校との関連で事例を挙げましょう。
 次の文は、いじめで苦しむ女子の訴えです。

 私は小学校6年生の女子です。私は今ひどいいじめに会っています。言いにく いのですが、みんな私を避けます。私の体に触れること、私の触ったものを避けま す。掃除のときは私の机だけが残されます。今まで中の良かった子までがそうするよう になってしまいました。
 私は毎日シャンプーをしています。服も毎日替えています。それでもみんなは 私の気持ちを分かってくれません。私のどこに原因があるのでしょうか。悪いところ があったら、すぐに直します。

 たいていの人は、なぜこの子がいじめに会うのかその原因を知ろうとします。 しかし、それでは解決はできませんし、この子が不登校になるのは時間の問題でしょ う。つまり、どんなことがあったにせよ、この子をばい菌扱いする理由にはならない ということです。いじめが上記の第3段階以上に展開しまっていて、いじめでいやな 思いをしている子はこの子だけではないという認識が不可欠です。担任は「君には問 題はない」と明言してその子を支えつつ、学級の全ての子を敵に回してでもこの問題 に取り組まなくてはなりません。その気概がなくては解決できない状態になっていま す。
また、担任としての信頼を回復する最後の機会でしょう。ストレスの充満する学 級にあって、全ての子どもが担任の奮起を望んでいるのです。
 ところで深刻ないじめに対処するためには、不登校の本質と指導法について理 解しておくことが重要です。いじめが構造的に進展することと、不登校の要素は類似 しています。いじめの背後に不登校の要素ありと考えたほうがいいくらいです。  不登校には誘因と要因とがあります。誘因とはきっかけです。いじめや担任と の確執、他の子どもとの確執などがそれです。要因とは、生育暦とか過去に経験した 癒されていない心の傷です。しかし、要因があっても誘因がなければ不登校は起こり ません。誘因を見逃したり、分かっていても適切は支援を怠っていると心の傷は深ま り、要因と複雑に絡み合って解決を困難にし、不登校を引き起こします。
 私は、次のステップを踏んでこの問題の改善を図ってきました。まず、心を開 く第一段階、正しく悩む第二段階、学級の子との関わりを深める第三段階です。この 3つのステップは、いじめを解決する上でも有効です。第一の段階は、「わが心ここ にあり」の態度を示すことが肝心です。いつも笑顔で解決への展望を持ち、「いつも 君(君たち)のことを考えているよ。」、「君(君たち)といっしょに悩んでいる よ。」という姿勢を示すことが子どもの心を開かせます。
 第二の段階は、真実を真正面から捉えあるがままを理解することから始まり、 その問題の解決に向けて正しく悩むことです。正しく悩むとは、真実を知るところか ら始まります。そこで、武者小路実篤らの白樺派の理念を定着させました。つまり、 真実は自分の心に聞いてみればわかる。「心を落ち着かせて自分の心の奥底に問いた だしたとき、何のわだかまりもなく「それは正しい」との答えが出てきたなら、それ が真実である」ということです。その際、「君(君たち)は悪くない。」というレベ ルまで認識を深めることが肝心です。いじめも不登校も自虐の働きがストレスを生み 出しているからです。
 第三の段階は、集団との関わり、社会との関わりの中で自己実現が図れるよう 環境整備や体験学習を進めることです。「生きる力」の育成をあらゆる活動を通して 推進していくことです。これは奥の深いことなので、説明は後に譲ります。
 いじめや不登校は深刻な問題です。しかし、それが子どもたちを成長させる生 きた教材になることも事実です。今回はとりあえず私の基本的な考えを投稿しまし た。説明不足の点や疑問点も多くあると思います。下記に連絡いただければ可能な範囲 でお答えするつもりです。


〜意見1〜

一児の父
非常に分かりやすい御意見です。自分の子供ではなく、第三者的で無責任ですが、投 稿致します。

小一の息子の友達(殆ど毎日のように遊んでいます)の小三の兄(二人兄弟)が不登 校となっています。両親が市の児童相談所で指導を受け、母親が構い過ぎるので、本 人の好きなようにさせておくことというのが指示だそうです。おやつを見せると欲し がるため、両親が買わないので、弟は我が家で開口一番「おやつある?」と言いま す。この兄弟の家に息子が遊びに行くと、息子に意地悪をするようで、わざと仲間は ずれにしたりします。息子と喧嘩になり、負けず嫌いの息子にやられたことから、近 所の同級生(学校の先生が気を遣って、時々遊びに行かせているようです)といっしょ に息子をいきなり叩いたり蹴ったりしたようです。息子から報告を受けて驚きました が、息子は、すでに立ち直っていたようで、相手の親は報告せずに、学校で同じこと にならないように、担任の教師には報告しておきました。

先日、小一から小四までの子供たちが遊んでいる時、そばに行くと息子が、仲間に入 れてくれないというので、不登校の子にどうしてだと言うと、驚いたように沈黙した 後、じゃんけんには参加していたと言いました。大人から言われたことで、さすがに その時はあからさまな意地悪はしなくなったようですが、この子は、好きなようにさ せておくタイプではないような気がします。息子は、他の子とはよく遊んでいて、学 年の違うこと子供とも遊んでいます。心配なのは心配ですが、深刻な事態ではないの で、他の子のことを気にしています。児童相談所の指導というのが、子供のことを把 握していないんじゃないかと思えて仕方がないのです。

小柄で、言動は小三としては少し幼く感じることを除けば、普通の子供で、問題とさ れている行動も、私の息子が甘えようとして突き放される時に見せる反応と同じで す。先入観を与えるのはまずいのですが、弟の方は、特別授業が必要だと担任の教師 から言われています。もし私の息子が、好きなようにさせなさいと言われたら、服は 着せてあげなくてはならないし、食べ物は好き嫌いだらけだし、部屋は散らかし放題 で、友達には意地悪するとんでもない子供になってしまいます。不登校の子も私の息 子に似ているのです。息子を仲間といっしょに叩いたり蹴ったりした時も、息子がそ の前に棒か何かで叩いて泣かして、その前は息子が叩かれて泣いたようです。違う点 が二つあります。息子は順応性があり、一度、叱られたことは、ごまかそうとし(二 度とやらないという訳ではないのが困るんですが)、今泣いたカラスがもう笑ったタ イプで、すぐに別のことに関心を移して切り換えるのですが、不登校の子は、要領が よくないようです。私の息子が先生から叱られ、教室を飛び出しても、休み時間にな ると皆と遊んで、そのまま教室に戻ってくるのに、その子は、家に帰ってしまい、学 校に行こうとしなくなりました。その子の親は、よく知っているのですが、素人なの に無責任に児童相談所の指導がおかしいのではとは言えません。その子が求めている のは、母親の拘束と学校からの自由ではなく、逆に突き放されていることへの不安を 拭う愛情のような気がします。不登校の問題ではないような気がして仕方がないので すが、如何でしょうか。



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