私も大学では教育学を専攻し、教員免許を取得した。しかしながら教員になり
たくて免許を取ったのではなく、教員養成課程にとても興味があったからだ。
おっしゃるとおり今の教育界、とくに学問としての教育の場では論議されるこ
とはあっても、じゃあ具体的な方策を出せと言われても答えを出せないのが実
状である。
今や教員養成課程に求められているのは「教育専門職能人」ではなく「多角能
力人」の養成ではないか。いじめの問題ひとつ取ってみても、これは決して教
育現場にのみ見られるような特殊な問題ではない。今の日本の社会のいたると
ころで見ることの出来るものだ。こうした実状、つまり学校という閉鎖的な空
間は、実は日頃私たちが繰り広げている大人の社会を如実に反映したミニチュ
ア版でしかないと言うことを捉えることが出来るか、またその状態についてど
こまで多角的に観察し、偏りのない判断が出来るかという事にほかならない。
私は自分自身の学生生活(小学校から高校)の中で、教員の理不尽な行動によ
る不可解な決定で、幾度となく煮え湯を飲まされてきた。その根底にあるのは
今の教員養成課程であって「教育学問」の世界であると考えた。他の、熱血的
に教育に立ち向かおうとする学生に混じって、ひたすら冷静に彼らすら観察対
象として彼らと同じ課程を進み、教育実習も経験して免許の取得にいたり、最
終的に確信したことは「いずれ学校は機能しなくなる」ということ。もはや教
員は子どもに対して指導・監督できる立場にはなくなるだろうと予測した。そ
のことを裏付けるがごとく社会人経験者の教員職への登用が議論され始めた。
裏を返せば、これまでのかたちで養成されてきた教員はお役ゴメンということ
ではないのか。ざまぁ見ろ、とまでは言わないがこういう動きが将来的に教員
の立場をどのように変えていくのか、推して知るべしだ。
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